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吉田カバン:ポーター [ブランドストーリー]

日本を代表する革製品のメーカー

ブランドとしてはポーターやラゲッジレーベルがある。

創業は1935年と古く、1953年にエレガントバッグを大ヒットさせる。

1962年に立ち上げた「ポーター」が基幹ブランド

ポーターはホテルなどで客の鞄を預かり運搬するポーターから来ている。

藤原ヒロシがてがけるプライベートブランドのヘッドポーターの一部商品は吉田カバンに一部外注されている。


さまざまな製品でコラボを行っているが、特に最近はスマホのコラボが多い。

参照:http://smartphone100.web.fc2.com/05/0027.html

イヴ・サン=ローラン(イブサンローラン) [ブランドストーリー]

長財布男性用の財布


イブサンローラン(Yves Saint-Laurent)は、やはり1990年代後半に最も輝いていたブランドの一つであろう。

それは何と言っても創業者のイブサンローランの類稀なるファッションセンスに起因するものである。

それゆえ、イブ亡き後は、かつての栄光は徐々に色褪せざるを得なかったと言えよう。

この見方が世界的に見て本当に正しいかどうかは不明だが、少なくとも日本においてはそれはそれほど間違ったものではないだろう。

クリスチャン・ディオールにその才能を認められたイブサンローランは、クリスチャン・ディオール亡き後、弱冠21歳でクリスチャン・ディオールの主任デザイナーとなり、クリスチャン・ディオールの危機を救うことになる。

しかし、それはそれ以上の意味を持っている。

つまり、フランスの象徴であるファッションの救世主というとらえらえ方もしたのである。


それほどの才能がイブサンローランにはあったということである。


イブサンローランはまた、人間としても尊敬される存在であった。

有名な話では、ファッションモデルのナオミが有色人種としてフランスのファッション誌ヴォーグの表紙を始めて飾ったのも、イブサンローランの影響であったと言われている。


イブサンローランのファッション小物

長財布

男性用の財布


ダンヒル [ブランドストーリー]

シガレットケースコインケースカードケース長財布



かつて、ダンヒルといえば、男性向けブランドでは図抜けていたような印象がある。
少なくとも1980年代末のバブルのころ、私の周りの男たちはダンヒルを別格視していたような気がする。


でも、最近はあまり聞かなくなった。

これは日本だけかもしれないが、だんだん世の中が女性化し、女性が強くなっているからかもしれない。

今から20数年間にはダンヒルがステータスで、時計、ベルト、カフス、財布などダンヒルで揃えたものだ。


この長財布はその時のなごりだ。


20110723-1.jpg


ダンヒルはアルフレッド・ダンヒルが1880年に、馬具専門製造卸売業としてロンドンで開業している。

その後、1893年には衣類や小物の製造にも乗り出し、20世紀になって自動車が普及してからは自動車旅行用品を多く売り出している。

ダンヒルでは自社ブランドのたばこを持ち、ライターやパイプなどのたばこ用の小物から、時計、衣料品など様々な分野に進出している。

基本的には今でも男性向けが中心である。

現在は、スイスのリシュモングループの傘下に入っている。


ダンヒルブランドの小物類

シガレットケース

コインケース

カードケース

長財布

プラダ [ブランドストーリー]

キャリーバッグパスケース


プラダの創業は1913年、イタリアのミラノである。

創業者はマリオ・プラダで、革製品専門店であった。

世界から珍しい素材や質の高い革を集めて製品を作っていた。

素材の珍しさに加えて、イタリアの革職人の技術が評判を呼び、ブルジョアの間で人気となり、イタリア王室のご用達にまでなった。

しかし、1958年にマリオが死去し、マリオの娘が事業を仕切るようになってから、豪華さが時代に合わなくなったこともあって、長期間低迷が続く。

プラダが復活するのは、1978年にマリオの孫娘のミウッチャ・プラダがオーナー兼デザイナーに就任してからのことである。

マリオの時代に旅行用かばんに用いていた工業用防水ナイロン素材の「ポノコ」を使ったバッグを開発し、日本やアメリカで人気となる。

これをきっかけに今の繁栄を取り戻すことになる。


一時期、プラダはLVMHに触発されたのか、ブランド買収戦略をとる。

1996年にグッチ、ヘルムート・ラング、ジル・サンダーなどを買収した。また、1999年位はLVMHと合弁で、フェンディの立て直しを試みるが、それも失敗し、結局これらの株をすべて手放すことになる。

現在、そのうちグッチとフェンディはLVMHの傘下となっている。


そのプラダがいよいよ上場する。

これまでは、創業家などが保有するプラダホールディングスが94.9%の株を保有していたが、台頭するアジアをターゲットとするべく、香港市場に上場することになった。



― プラダのデザイン ―

プラダのデザインに大きな影響を与えているのが、上でも述べたミウッチャ・プラダである。

ミウッチャ・プラダは1950年生まれであるので、2011年現在61歳であるから、まだまだ現役。

現在、プラダグループの総帥はミウッチャ・プラダの夫であるパトリッツィ・ベルッテリである。

「日常を贅沢に飾る」が基本コンセプトであり、現代的で革新的な素材やデザインの斬新さが売り。

伝統と革新の組み合わせが世界的に認められている。


プラダのファッション小物類


キャリーバッグ

パスケース



ルイ・ヴィトン [ブランドストーリー]

― 長財布 ―、メンズヴェルニモノグラムダミエ2011年新作タイガエピピンクジッピー
パスケース―、パスケース(エピ)
シガレットケースデジカメケースキャリーバッグスマートフォン(iPhone) ケースカードケース

ルイ・ヴィトンはLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の中核ブランドである。

LVMHと言えば、1980年代からブランドを買収しまくり、今や全世界のブランドの王者となっている。

2009年12月期の売上高は17,053百万ユーロ(当時の為替で約2兆4,000億円)、純利益は1,755百万ユーロ(同2,350億円)。2009年度のトヨタの純利益は2,095億円、任天堂が2,286億円であるので、日本で言えばまさに産業界の頂点利益を上げる会社と肩を並べている。


それこそ、頭に思い浮かぶブランドはLVMHの傘下にあるものも多い。

セリーヌ、ロエベ、フェンディ、デビアス、ディオール、ジバンシー、ケンゾー、ヘネシーなどあらゆる分野のブランドを抱える。

ただし、ここでのブランドストーリーはその中核企業のルイ・ヴィトンについてである。


ルイ・ヴィトンはスーツケース職人の(マレティエ)ルイ・ヴィトンが1854年に、世界初の旅行カバン専門店をパリで創業した。


1867年の万博で銅メダルを獲得し、一気に事業は世界に広がった。

特にスラブ、ラテン系の王侯貴族に支持され、事業を拡大していった。

1888年にルイ・ヴィトンの象徴でもあるダミエを考案し、1889年のパリ万博で金賞を受賞する。ダミエは日本で言えば、市松模様だ。

ハンドバッグの販売を開始したのは1892年こと。この年、創業者のマレティエが死去するが、むしろルイ・ヴィトンが発展するのはその後のことである。

そして、1987年にルイ・ヴィトンとシャンパン製造会社のモエ・ヘネシーが合併しLVMHモエ・べねしー ルイ・ヴィトンが生まれた。

そして、その合併をきっかけとして、LVMHグループは、クリスチャン・ディオールやフェンディなど有名ブランドを次々と傘下に収め、巨大なブランド企業に成長することになる。

ヴィトン自体は、1998年には本格的にファッション界に進出する。その際、デザイナーとしてマーク・ジェイコブスを迎えており、その後の成長に資することになる。


とにかく、ヴィトンのバッグは丈夫で、長持ち、型崩れしない。

この旅行用のボストンバッグは約25年前に購入して、今でも現役である。

飛行機での乱暴な扱いにも長い年月耐えてきた。

20110608viton-s.jpg

そして、こちらは日常に愛用するセカンドバッグ。

さすがに毎日使うので、もうすでに3代目だったような。

20110608-10viton-s.jpg



<ルイ・ヴィトンのファッション小物>


― 長財布 ―


メンズ

ヴェルニ

モノグラム

ダミエ

2011年新作

タイガ

エピ

ピンク

ジッピー



パスケース

パスケース(エピ)


シガレットケース

デジカメケース

キャリーバッグ

スマートフォン(iPhone) ケース

カードケース

スワロフスキー [ブランドストーリー]

ソニー製デジタルフォトフレームiPhone4用デコケースドコモ用スマートフォンケースau用スマートフォンケースライターケース


スワロフスキーは1895年創業のクリスタルガラス製造会社である。

場所は、オーストリアのチロル州である。

独自の製法およびカッティング技術、クリスタル・ガラスの製造技術に優れたものをもつ。

ヴェルサイユ宮殿やオペラ劇場のシャンデリアパーツなども手掛けたことから、一躍世界的なクリスタルガラスメーカーとなる。

しかも同社は、古来よりクリスタル・ガラスが使われる分野以外にも次々と進出し、新境地を開拓している。

アクセサリー類から始まって、ファッション分野やインテリア分野にも積極的に進出していて、さらに近年名声を高めている。

同社の手法はあらゆる分野で、有名デザイナー、メーカー、ミュージシャンなどと提携し、話題をさらってブランド価値を高める方法をとっている。



スワロフスキーのクリスタル・ガラスは通常のクリスタル・ガラス(酸化鉛の含有率が約24%)に比べ、酸化鉛が最低でも32%と多くなっている。

そのため、光の反射が通常のクリスタル・ガラスと異なって虹色に見えることがある。


また、スワロフスキーのクリスタル・ガラスにはカット技術に加え、クリスタル表面に特殊加工を施す技術も用いられている。

日本でも数々のコラボを行っている。

日本のコラボでは、ハローキティ、T.M.Revolution、山田優などとのコラボがある。




*****スワロフスキー製品*****


ソニー製デジタルフォトフレーム


iPhone4用デコケース


ドコモ用スマートフォンケース


au用スマートフォンケース

ライターケース

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エルメス [ブランドストーリー]

ペンケースパスケースシガレットケース


エルメスは1837年にティエリー・エルメスによって、馬具工房として創業される。

エルメスがファッション関係の商品を手掛けるようになるのは、ティエリーの孫で3代目となるエミール=モーリス・エルメスの時代である。

1892年に創業来の馬具製造の技術を生かしてエルメス初のバッグ、サック・オータクロアが製造される。

1927年には腕時計に、そして宝飾品、装身具や香水と多角化を進めた。

1900年代の終盤にエルメス社は、買収戦略を進めるが、基本的にはその企業の職人技に目を付けた買収であった。

エルメス自体が製品を外注していたシャツや帽子の製造メーカーである。

2004年にはジャン=ポール・ゴルチエがデザイナーに就任する。

そして、2004年のパリ・コレでは創業来の伝統である馬具・革製品を意識しながらもオレンジと黒を中心とした先鋭的なブランドを発表している。


『ケリー・バッグ』

エルメスの代表的なバッグの一種。

もともとケリー・バッグは馬具製造技術を生かし、1935年に「サック・ア・クロア」という名称で販売していたものである。


1955年、モナコ王妃のグレース・ケリーが、妊娠中の腹部の写真を撮られることを避けようとして持っていた「サック・ア・クロア」で隠したため、その写真が雑誌に掲載され一躍有名になった。


ここからがエルメスの抜け目のないところで、モナコ公国と交渉して「サック・ア・クロア」の名称を「ケリー・バッグ」に変更した。


これが、「ケリー・バッグ」誕生の秘話である。



我が家にあったエルメス

20110608エルメス-1s.jpg

こんなのとか、

20110608エルメス-2s.jpg


こんなのがありました。


エルメスの小物類。


ペンケース

パスケース

シガレットケース

アバクロ [ブランドストーリー]

アバクロがニューヨークで創業されたのは、1892年のこと。

今でこそアメカジの代表的なブランドですが、当時はキャンプ用品、釣り具、狩猟用品を販売していた。

アバクロは創業者のデビッドアバクロンビー氏の名前からとったものであるが、アバクロが今のような業態に変化するきっかけは、経営方針の違いから創業者が去った1900年代になってからである。

1988年にはリミテッドグループに売却され、1992年、つまり創業100年に、当時コンサルタントであったマイケルジェフリーズ氏をCEOに迎えたことから発展の節目となる。

ターゲットをキャンバスの男女学生に替え、商品をアメカジに変更し、大発展を遂げる。

1998年にはリミテッドグループから独立し、2009年12月、ついに日本に上陸した。

COOL & SEXYの原点がアバクロ。

ハリウッドスターも愛用するアバクロが通販ショップrarum925で堪能できる。


アバクロ メンズ

ティファニー [ブランドストーリー]

パスケース長財布メンズ長財布二つ折り財布(メンズ)


ティファニーの創業は1837年と老舗中の老舗。

1821年のルイ・ヴィトンには少し負けていますが1900年代のグッチやシャネルはぶっちぎりです。

今から30年前には、クリスマスのプレゼントはやっぱりティファニーでした。

私があまり知らなかったのか、まだ他のブランドが今ほど全盛ではなかったのか、当時はちょっと他に差をつけていた印象があります。

しかし、今はどちらかというと停滞のイメージ。

創業当初は文房具や装飾品の店であったが、当時一般的であった時価ではなく、商品に値札をつけて値引き交渉に応ぜずという画期的なスタイルでした。

飛躍のきっかけは、1848年のフランスの2月革命のときに、貴族から高価な宝石を買い入れ、宝石事業に進出し、大成功を収めたことです。

また、1851年には銀細工の会社を買収し、そこから銀細工と宝石の2本柱が確立した。

日本でのティファニー信仰が生まれたきっかけは、何と言ってもオードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」であった。

まあ、ローマの休日で見せたあどけなさも、ティファニーで朝食をで見せた別の面もすべて好きという感じ。

やっぱり、ティファニーとオードリー・ヘップバーンは切っても切れない人気者同士です。


ティファニーで朝食を

ティファニーで朝食をのオードリー・ヘップバーンの画像集です。いいですねー。

オードリー・ヘップバーン画像


ところで、これは今は使っていないのですが、結構長い間使っていたティファニーのマネークリップです。

20101218-4s.jpg

ティファニーのファッション小物
パスケース

長財布

メンズ長財布

二つ折り財布(メンズ)

グッチ [ブランドストーリー]

カードケースコインケース長財布デジカメケースシガレットケースパスケースペンケースマネークリップキャリーバッグスマートフォンケース


グッチのブランドストーリーは、デザインや商品についてのブランドストーリー以外に、グッチ一族のストーリーがかなり物語性を帯びたものとなっている。

1881年に馬具製造業の家にイタリアで生まれたグッチ創業者のグッチオ・グッチは、家業が倒産したため単身イギリスにわたり様々な職業に就く。

その中の一つ、ホテルのボーイ時代に金持ちの価値観に気付いた。

まず、大金持ちが好む旅行鞄のデザイン、素材、色や金具です。

それに加えて、ブランドにとってより重要なことに気付くのです。

それは、商品の製造原価と価格は無関係だということです。つまり、人は高いものに価値を見出すので、ブランド力を強化しようと思えば、高く売り続ける必要があるということです。

その後イタリアに戻ったグッチは、1921年にイギリスから鞄やトランクを輸入する会社と同時に馬具や高級革製品を製造する会社を立ち上げました。

これがグッチの始まりです。ただし、店名をグッチ(GUCCI)としたのは1923年のことである。

輸入品の革製品の販売や修理をしながら、次第に革製品の技術を身に着けます。

第2次世界大戦によって革が手に入らなくなると、キャンバス地にコーティングを施した製品を販売すると、思わぬ人気になった。

ただし、グッチが世界的に名声を得るようになるのは、創業者のグッチオ・グッチの死後のことである。

グッチの2代目はグッチオの3男アルド・グッチだと思われる。

なぜ、思われるとなっているかというと、ネットで検索すると2代目はアルドという記述と、アルドの息子のパウロが2代目という記述があるためだ。

パウロとしているのはWikipediaであるため、wikiを参考にするとたぶん2代目がパウロとなるのだと思われる。

しかし、ソースが異なると思われる他の大多数はアルドが2代目となっており、その息子のパウロは一族から追放されたような記述もある。

そして、3代目はアルドの弟であるロドルフの息子のマウリテオであった。

しかし、ファミリー間の抗争に明け暮れたグッチはマウリテオの代で持ち株をすべて手放すことになる。

1993年のこと。

この時株を握ったインベストコープ社はドメニコ・デ・ソーレとトム・フォードの尽力によって、グッチの復権に成功し、株式上場に持ち込んで最終的に全株を売却した。

やがて、ルイ・ヴィトンの親会社LVMHが株式の34.4%握り、グッチを支配しようとしたが、グッチはフランスの流通大手ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)と手を握りLVMHに対抗した。このときは結果的にLVMHが手を引くことになった。


しかし、その後グッチの首脳陣とPPRが対立し、PPRが支配力を強め現在に至っている。

なお、グッチ自身がさまざまなブランドを傘下に入れている。

1999年セルジオ・ロッシ、2000年宝飾メーカー、ブシュロン、2000年10月イブ・サンローラン、2001年7月アレキサンダーマックイーン、バレンシアガ、ボッテガ・ヴェネタなどである。

ファッション小物類

カードケース

コインケース

長財布

デジカメケース

シガレットケース

パスケース

ペンケース

マネークリップ

キャリーバッグ

スマートフォンケース
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