ポール・スミス [ブランドストーリー]
以下長財布(
オーナー兼デザイナーであるポール・スミスは1946年にイギリスのノッティンガムで生まれる。
少年時代は15歳で学校を退学して、自転車競技のレーサーとして身を立てようと考えるような独立心の強い青年でした。
しかし、不幸にも事故に遭って重傷を負い、レーサーへの道をあきらめました。
それでもそのくらいのことでへこたれるポール・スミスではありません。
その後パブで知り合ったアートスクールの学生たちとの交流を通じて、最初に取り組んだのがコーディネーターとして彼らの仲介役あれこれしました。
これが17歳のこと。
その3年後、20歳の時にその後ポール・スミスのパートナーとなるポーリーン・デニアと結婚をすることになる。
彼は家族のために熱心に働き、やがて自分の店を持てるようになった。
彼の信条は、
The job changes you,you don't change the job.
つまり、仕事によってあなたが変わることはあるけれども、あなたが仕事を変えることはできない、というものであった。
ポール・スミスは1970年、24歳でポール・スミス リミテッドを設立することになります。
その仕事ぶりから、4年後の1974年にブラウンズ社の専任コーディネーターとして採用されます。
自分のショップを運営しながら、ブラウンズ社の商品デザインを担当し、ブラウンズ社の名声を高めることに貢献しました。
ビジネスが軌道に乗ってきたため、ノッティンガムでさらに大きなスペースに店を移したましが、このときからオリジナルブランドを手掛けています。
出来上がったシャツを自ら売り込みに行き、初めて買ってくれた人が、ニューヨークの有名ショップ「バーニーズ」のオーナーの息子であり、200枚の注文をくれたそうである。
1976年に初めてファッションショーを開いてから、順調に顧客も拡大し、やがて世界的な名声も手に入れてゆく。
そして、2000年には、デザインへの貢献によって、エリザベス女王からナイトの爵位を授与されることになる。
*****ポール・スミスのファッション*****
「ひねりのあるクラシック」
がポール・スミスのポリシーである。
これはたとえば、ヴィヴィアン・ウェストウッドの「伝統をもって未来を創る」とも相通ずるものがあるかもしれない。
これによって、ともすればジーンズとTシャツというカジュアル志向に押し流されそうであった伝統的な英国メンズウェアの復権に大きく貢献したと言えよう。
ベースにあるのは伝統的な技術であるが、それだけではなく、ブランドのシンボルともなっている色鮮やかなストライプ柄や花柄などもデザインに採用した。
積極的に異業種との提携を行ったことも特徴的である。
すでに10年以上前から、マンチェスター・ユナイテッドやリバプールなどのクラブやヨーロッパ選手権、ワールドカップなどの公式スーツを提供してきた。
2002年の日韓ワールドカップのイギリス代表には、イギリスの代表的なスポーツ用品メーカーのアンブロと組み、ラゲージや小物類を提供した。
ポールスミスのファッション小物類はこちら
コインケース
以下長財布
2011-05-25 00:01
nice!(0)